Archive for June 2005

19 June

総会成功裡に終了

joy 18日21時に東京での初めての総会・等石忌が無事終わりました。昨年に劣らない参加者を得て、東京での再出発としては、成功裡に終わりました。

 上野圭一先生の講演もとても刺激的で、DVDでの滝沢先生の動く映像の上映も、大好評でした。

 滝沢さんの姿に接した人も、本だけで知った人も、同じように熱く語り合える一夜でした。

等石忌に飾られた滝沢克己ご夫妻の写真


00:14:01 | joy | No comments | TrackBacks

17 June

「原点に返って」

joy 滝沢克己協会の総会・等石忌(滝沢さんに献杯し、氏を偲ぶ集い)は、いよいよ明日に迫りました。

 いろいろな出会いが待っています。老若男女、関東近県から、九州の方々まで、一年ぶりに集まります。

 新しい流れが始まります。

生きることには答えがある、と語った人の、そのことばのこだまを聞き届け、自らの内に湧く泉を発見し続けるために、この集まりは、開かれ続けています。

 何かが物事が起こったときに、「原点に返って考えよう」などとはよく言われますが、その原点を生涯語った人こそ、滝沢さんだったからです。

 だから私たちはいつも、原点に身をさらして、考えかつ生きるということを、初めてであるかのような新鮮な気持ちで、繰り返し続けているのです。喜ばしい思いに抱かれて。


23:28:00 | joy | No comments | TrackBacks

10 June

試練の船出 滝沢克己継承の新たな集い

joy 滝沢協会の総会と講演会が近づいてきました。今年の参加予定会員は現在のところ、昨年の半分ほどにしかならないようです。本部が九州から東京に移って最初の総会ですが、試練の幕開けになりそうです。

 滝沢克己の魅力を、彼の地縁でなくて、東京の地で感じてもらう、ということはできないことでしょうか。

 滝沢が人間の思考の根柢に迫り、人間の思考を踏み抜くような深い基盤に立ってものを言ったことは、時代の流れの中で風化していくことでしょうか? 彼の思惟の逃げなき継承は、果たされないものでしょうか?

 滝沢克己という人の、すべてを裁ち切る魅力に触れてみたいと感じている方は、ぜひ彼の先見性と囚われのなさや根源的思考を受け止めた、上野圭一氏の講演会に、ご参加ください。本講演会は、一般の方々の参加を歓迎しています。

 講師:上野圭一氏(鍼灸師・翻訳家)
『失明を回避した哲学者・滝沢克己が選んだ究極の医療とは?』=西洋医療ではなく、手かざし治療で眼病が平癒した体験を真剣に受け止めた哲学者による画期的な身体論、健康観の、私たちの指針となる今日的意義について。

 メルバルク東京「薔薇」の間 地図はここ
 6月18日(土)18:00〜19:00
 参加費 1000円です。予約不要


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01:08:11 | joy | No comments | TrackBacks

05 June

もろもろあって

だんま ひさしぶりにかきこみます。もろもろあって・・・
 
滝沢さんのマタイ講演映像は素晴らしいと思う。わたしもDVDで一部みた。編集する必要があるけど、公開=販売していいと思う。本とまたちがう。HPで一部みられるようになる、総会で一部公開される、とのこと、期待が高まるぞ。

この間、本部は総会に向けてラストスパートの感あり。うまく行くことを祈っている。それにしても当初予定した総会での『ひろば』公刊が出来なくなったのが残念。経緯をみれば、いたしかたない。総会報告と同時発送を目指してがんばろう。

今回はこれまで・・・



21:36:33 | joy | No comments | TrackBacks

04 June

真理とお金と

joy 真理の探究は、なぜお金にならないのでしょうか。真理を探究する者は、現実のお金儲けとか、衣食住をよくすることだとかは、関係がないのでしょうか。

 でも彼は、すべてにわたる真理を探しているはずです。その真理が現実に生きないもの、自己満足に終わるものならば、どこか足りないところがある、ということにはならないでしょうか。

 この滝沢協会も、ほとんどボランティアで活動をしています。人を根柢から生かす真理を学び、味わい、伝えようとしながら、お金についていえば、うまく回っているとはいえません。

 でもお金のいい循環がないということは、人と人の交流がない、お金を受け取るという発想ができない、現実とは離れたところで物事を考えている、ということにならないでしょうか。

 でも真理とは反面、お金を払ってでも手に入れたいものではないでしょうか。なぜならそれによって生きられるものなら、人はお金に糸目はつけないはずだからです。そしてお金にはそうすることのできる力があります。また、人を根柢から生かす真理にも、そうやってお金を動かす力があるのです。

 お金が生まれ、動くのも、人が物を無なる場所で生み出す、その同じところのはずです。

 だから、何か、真理を求めることと、現実にお金を使って生きることの間に、考え足りないものがあるように感じます。

 現実でお金を稼いだことの余剰金によって、真理を伝えるこの協会が成り立っている。ここには、まだ考え足りないものが、潜んでいるような気がします。

 もし真理が共有されていくものなら、私たちが現実の中にいる以上、それは当然ながらお金を仲立ちとするものだし、お金のよい循環が生じるはずです。

 真理とお金を分ける必要はないし、滝沢の「原点」は、お金のいい循環をも生み出す原点であったのではないか、いまそのように考えています。

 お金とは現実そのものであり、そのお金を使う者の考えを映し、照らすものだといえるでしょう。真理を受け取ることと、いいお金の循環とがつながるなら、何とすばらしい生、世界、現実が待っていることかと思います。

 ならばそれを目指したいものです。


21:41:45 | joy | No comments | TrackBacks