Archive for January 2006

15 January

転生、奇蹟、気

だんま 昨年暮れ、joyさんと寺日誌さんが期せずして「宗教っぽいもの」をとりあげました。精神世界ということばも出てました。

霊体験も臨死体験もないわたしはそういうものにどう対処したらいいのか分かりません。そこでこう考えるようにしてみました。滝沢とどうつながるかなど、とりあえず考えにいれずに。

そういう体験を背後の思想に還元してしまうのです。つまり、輪廻転生はヒンドゥー教、奇蹟はキリスト教、気は道教というようにです。(晴明教は神道で気とは言わないのですが) すると、そういう体験が背後にどんな理念を持っているかがわかります。また、上のもの以外にも「儒教のシャーマニズム」「神道の禊・祓え」などが宗教っぽい不思議体験として挙げられます。

それぞれの宗教は核に「罪悪や死の克服=生への対処」についての思想と技法を持っていると思います。転生というのはこの世の生の整え(倫理)と生命の大きな流れへの諦念を育てるものと思います。奇蹟はイエスによって審判の日に救われる希望を与えるでしょう。道教は不老長生です。気による整体というのも自然に合致する時の意識からの解放感として死を受容(克服)しようというものだと思います。

そしてこれが肝心ですが、どれも一長一短があることです。転生は根本の不安を消しません。イエス信仰は閉鎖的になりえます。不老長生は始皇帝のような薬への、また整体なら整体への依存(心理学者のいわゆる嗜癖)をもたらしうる、ということです。

つづきがあります。
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00:36:02 | joy | 3 comments | TrackBacks

01 January

謹賀新年!

joy 新年明けましておめでとうございます。
 今年はどのような年になるでしょうか。きっと大いなる探究と大いなる発展が待ちかまえている年であると思います。
 滝沢さんの継承、発展も、彼が発見した大いなる喜びの原事実を手がかりとして、そこからさらに先へと進んでいきたいと思います。
 それが、現代の生と思想の混沌を貫く真理をつかむことだと思います。滝沢さんの思想がそれに耐えるものであり、変わらない真実であるとの確信は、私たちの心にいつも新しく訪れるのです。

 みなさま今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。





 
00:48:32 | joy | 1 comment | TrackBacks