Archive for November 2006

11 November

世界認識 7

 だんま 滝沢さんの世界認識、その方法は学問=科学であり、その内容は「神人の原関係と三つの極」であると言いました。いよいよ、その極ごとの内容にまで踏み込む段階になっています。

 しかし、今回は、足踏みします。もう一度、世界認識というときの「世界」とはなにか、そういう世界の認識方法としての学問=科学とはどういうものか、世界認識の内容はどういう立場としてとらえうるか、考えておこうと思います。西田・滝沢さんの世界認識がきわめて独特のものであり、容易に理解されがたいと思うからです。念を押す意味もあり、従来の概念との関連をつけておこうというわけです。

 まず、(1)世界認識というとき、その世界は絶対者のことだということ、このことは既に書きました。次に、(2)世界認識の方法が独特な学問=科学であるということも、一度ならず書いています。しかし、(3)世界認識の内容については、まだ、反省的に語ったことが有りません。以下、繰り返しを恐れず、(1)から順に敷衍してみたいと思います。

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08 November

世界認識 6

 だんま  世界認識について書いているのは、それ自体が目的ではなく、その縁(エッジ)に出たいからです。そこから、現代と対峙・対話を試みたいからです。

 さて、世界認識の内容は「一元三極」というキメラ的表現で要約されました。この表現について云々したいものがありますが、措きます。

 「一元」とは第一義の神人関係のつもりです。その関係の歴史的表現が宗教的形象、例えばキリスト教ならイエス、仏教ならブッダということになります。しかし、これ(第一義のそれ)は世界そのものが宗教的であることの表現であり、ここではまだ特定宗教そのものを考えているのではありません。特定宗教が示している普遍的な側面を指しています。ですから、三極を束ねる「一元」なのです(西田さんなら場所というところでしょう)。

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03:27:20 | joy | No comments | TrackBacks

04 November

世界認識 5

 だんま  タイトルの番号をサロンからの通算にしました。

 さて、神人関係と「即」の関係で必然的に分極するこの世界の三象面、というのが三極論ですが、具体的には物質面、精神面、身体面でした。滝沢さんはよく物質面は技術・経済のこと、精神面は宗教・道徳のこと、と書いていたと思います。身体面はどうか。はっきり対応した表現があったか、小生の記憶にはありません。
 
 で、その各面でどういう認識が獲得されたでしょうか。それを要約してしまえば次のようになるのではないでしょうか。精神面、物質面、身体面の順序でいえば、まず、インマヌエル、経済原則、自然治癒力の発見があって、同時に罪、経済法則、病(やまい)への気づきがあった。

 ここで精神面を最初に持ってきたのはこれが狭義の一面であるとともに、広義の事態の映しでもあるからです。世界内の出来事として狭義には、物質として人間が誕生することが先ですが、その物質はやがて自らと世界の根底を自覚するようになる。

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02 November

世界認識の内容(本ブログでの1)

 だんま  サロンで「滝沢さんと手かざし」の話を書いて、続きを書きたくなっています。このブログに書いてみましょう。

 サロンではこれまで、主にシュタイナーさんを念頭に、「釜ヶ崎と福音」「国家の品格と民主主義」「世界認識」「哲学史の問題」「手かざしの問題」について書いてきています。仏教関係について、梅原氏を除いて、まだ書いていないのが気になりますが、いずれまた。

 そんな風に書き散らしてきましたが、今回はそれらのいくつかを受けて「世界認識の方法と内容」、とくに内容について考えてみます。

 滝沢さんの世界認識の方法が「科学」であることは以前サロンで触れました。その場合の「科学」とは西田さんの用語でいえば「行為的直観的なもの」でした。「物となって見、物となって聴く」、「無にして万法に証せられる」ということです。こうした科学観を二十世紀の科学と科学哲学、とくにクーン以後のそれの中において見ることは興味あることです。が、今は措きましょう。

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