Complete text -- "恥ずべきもの"

03 December

恥ずべきもの

寺日誌: 昨夜、輪廻転生(ほかいわゆる「オカルト」現象)に話が及んで、その後帰宅してからふと井上良雄さんの『神の国の証人ブルームハルト父子』(新教出版社)を開いてみたくなりました。この本は1982年の刊行で,滝沢の『新興宗教の哲学』(=『現代の医療と宗教』〈創言社〉)と同時期に書かれています。両著書、全く異なる世界の出来事を通して、別々に書かれたのに、相互が共鳴しあっていることに改めて驚かされます。

 ブルームハルト父は、周囲に超常現象を巻き起こしながら痙攣している娘を癒したのを発端に、リューマチ、火傷、眼病、肺結核、精神病、不具等の数多くの人を毎日癒し続けました。また彼は主の再臨を待ち望み、どこで主が再臨されてもいつでも馳せ参ぜられるようにと常に馬車を家の前に用意していたといいます。

 著者・井上良雄さんは、こうした「恥ずべきもの」、荒唐無稽で笑うべきものに「何の恥じらいもなく真正面から取り組むことによって、一般のアカデミックな神学者には明かされなかったような神の国の真実が、彼に対しては開き示されるのを、われわれは見て来たと思う。」と言います。
 カール・バルトもまたブルームハルト父子に対しては批判を交えながらも終生敬慕していたといいます。
 片や滝沢先生は、聖書の世界とはなんら無関係の新興宗教の「手かざし」を哲学として(こころ・からだ・社会の問題として)語りました。そこからキリスト教との対話の道も探りました。滝沢があの本を残さずにこの世を去ってしまっていたら、はたして後の私たちが滝沢に縁ある仲間の集まりの場で、そういう話題を持ち出す勇気があったでしょうか。
 たとえば輪廻転生、未来の予言、いや伝統的な仏教の中でも、極楽往生、観仏の体験、これらはもはや「恥ずべきもの」かもしれません。話題に出たので輪廻転生を例にとれば、もしも前世の記憶を保持する人の証言を誰もが検証できる形で真実であると証明できたとすれば(実はすでに出来ていて、私もそれを率直に信じる一人ですが)、滝沢先生もきっとその事実を認め、クリティカルにその事実の意味するところを論じたに違いありません。

 私たちに難しいのは 書店で「精神世界」の棚に分類されるジャンルの出来事を、非社会的引きこもりや反社会的カルトに陥ることなく、一般世間の中でまっとうに(できれば周囲との軋轢なく平穏で物心豊かに)生活しようと願う者として、どんな積極的な意味を持って受け入れられるのかということです。

 ブルームハルト父について読んでいて、彼の人となりと発言――いわく、偽りの敬虔深さを嫌い、牧師臭さから自由であった。私たちが単純であることを思い起こさせ、生活になじまないような敬虔深さは忘れろ、と言い、人間の完全な無力さの自覚と神の全能に対する単純な信頼からくる「祈り」だけが人間の苦悩にただ対抗できる手段だ、と語った言葉の、なんと法然上人に酷似していることかと今回初めて気づき驚きました。ちなみに法然とは「南無阿弥陀仏」と口に発声しさえすれば何の努力も善行も勉強もしないで仏の国に生まれることが出来るという、極楽浄土に行くより先にへそで茶が沸くような教えを広めた僧侶です。

 「荒唐無稽」な行為や教えを堂々と行い説いた彼らが、あるいは滝沢先生が晴明教の教会で出会った指導者や信者さんが、誰よりも自然で自由な人たちであったという、そういう生き方が 今回話題にのぼった「精神世界」ジャンルからどのように導き出されるか。安心立命の足場はどんな場所か、私のからだがその教えを聞こうとしているか、その世界の現象がキリスト教や仏教やましてや滝沢克己と一切無関係であればあるほど、私のいま生きる環境と共存できるか、またはどういう反省を迫ってくるのか…この件について私の関心は現在そこです。 

 (話が結局まとまらないので 最初Joyさんのコメントとして記入しましたが、勇気を出して久しぶりに本文へ投稿します。)



01:27:47 | joy | | TrackBacks
Comments

joy wrote:

 私の関心も寺日誌さんと同じです。疑いよう無く起こる現象に対して「恥ずべき」という思いを持つ必要はなかったのです。それは自分を責める罪の意識と同質であり、滝沢さんも「悲しき面持ち」をする宗教者の姿勢について、それはただ単なる虚無からくるものだと指摘していますが、それと同じことだと思います。
 そこにあるものをあるがままに、また囚われなしに、受け取る姿勢しかないと思います。
 ちなみに今回の「思想のひろば」17には、「シンクロニシティ」や「アカシック・レコード」など、精神世界系のテーマと原事実との関係についてのコラムも、掲載されています。
12/03/05 02:23:29

おかの wrote:

 哲学ブログで滝沢先生の名前を拝見して、とても懐かしく、やってきました。

 関東学院神学部時代、滝沢先生の著作には決定的な影響を受けました。

 また時々訪問させていただきます。
12/07/05 09:34:47
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